HOME > 初代土木学会 会長 古市公威が語る「土木学会の精神」 > 古市公威と能 音源:謡曲「新年山」

初代土木学会 会長
古市公威が語る「土木学会の精神」

古市公威と能 音源:謡曲「新年山」

「新年山」収録内容(全文)

只今より古市博士が自らお作りなりました謡曲「新年山(しんねんのやま)」をお謡いになります。

鉄道が国運発展の重要機関たることは今更申すまでもありませんが、日露戦争のとき、私は朝鮮で京釜(けいふ)鉄道速成の任にあたりました。これはもちろん軍事上の必要に出たることでありますが、平和克服ののちに、この鉄道が朝鮮の国利民福に多大の効果をもたらすべきは疑いなく、朝鮮国民は他日必ず日本の恩恵を深く感佩(かんぱい)するならんとは、何人とも予想するところでありました。本線路の省けん(せいけん)というところに著名の隧道(ずいどう)があります。その坑門(こうもん)の額に、一(いつ)は時の陸軍大臣寺内正毅(せいき)君の書で「代天成功」の四字を、一は時の逓信大臣大浦兼武(けんぶ)君の書で「福利千秋」の四字が刻んであります。けだし京釜鉄道のごときは最もこの意義を有するものと思います。当時私も朝鮮鉄道の将来を祝するために、次の小謡(こうたい)を作りました。明治38年の御歌始(おうたはじめ)の御題「新年山」を詠じたつもりであります。

東シの洋(う)ミの。中カ空ラに聳(そび)ゆる。高嶺の白ラ雪は。年シ豊かなる微シとて。仰がぬものこそなかりけれ。殊更今朝の初日に照リそひて。海の外(ほ)カまでも。光洽(あまね)く満チ々て。韓(か)ラ国の山々。皆金色に輝くは。頓(やが)て咲くべき黄金の花を表はせり。あらめでたの奇瑞(きずい)やな。実に有りがたき御代かな。

古市公威自作謡曲「新年山」レコードジャケット表 古市公威自作謡曲「新年山」レコードジャケット裏

古市公威自作謡曲「新年山」の解説

「朝鮮半島における鉄道の歴史は、1894年に締結された日韓暫定合同条款に遡り、これによって日本は京仁鉄道及び京釜鉄道の敷設権を獲得した。その後、帝国議会における関係法案の整備などを経て、1901年6月25日に京釜鉄道が設立された。
 しかし日露関係が緊張状態を迎えると、軍部はその早期開業に対して圧力を強めた。このため、政府では総裁・理事を官選とすることにして組織の建て直しを図り、1903年12月に古市公威が総裁に任命された。古市は、鉄道作業局から久野知義、岡村初之助らを抜擢して、翌年10月を開業期限として工事の速成にあたることとした。
 京釜鉄道は、1905年1月に草梁~永登浦間が開業し、ここに京城~釜山間が全通したが、これは日本が海外で経営する鉄道としては最初の営業路線となった。正式な開業式典は、やや遅れて同年5月25日に京城の南大門停車場前広場で挙行された。式典が行われたわずか2日後、日本は対馬沖でロシアのバルチック艦隊を撃破し、ここに歴史は大きく動くことになるのである。
 日露戦争の終結とともに第二次日韓協約が締結され、京釜鉄道は日本政府の監督下に置かれることとなり、1906年、古市は統監府鉄道管理局長官となった。そして、1907年6月に辞任を願い出、3年半におよんだ朝鮮における鉄道との関わりに終止符を打った。」
(出典:『古市公威とその世界』生誕150周年記念企画展パンフレット,2004)
 謡曲「新年山」は京釜鉄道の営業が開始された1905(明治38)年1月に、新年御歌始の勅題「新年之山」に因み、自ら作詞作曲したもので、後年、日本コロムビアでSPレコードに収録された。
 古市はこのレコードの中で、自作を自ら解説しているが、以下の1節はシヴィルエンジニアたる土木技術者の矜持を語っていて興味深い。
 古市は京釜鉄道が日露戦争のための速成事業であることを述べた後に、「これはもちろん軍事上の必要に出たることでありますが、平和克服ののちに、この鉄道が朝鮮の国利民福に多大の効果をもたらすべきは疑いなく、朝鮮国民は他日必ず日本の恩恵を深く感佩するならんとは、何人とも予想するところでありました。」と力説している。
 韓国の植民地化の歴史を知る現在からみると、あまりにナイーブとの批判も免れないが、少なくとも土木=シヴィルエンジニアリングの観点を手放してはいないことがわかる。
(2013.6.14 土木図書館 坂本)